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     歌う医学博士・Hideが行く
                        */

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  総集編4.病院「小ネタ」集(完全版)
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こんにちは。Hideです。


明日のゴルフがキャンセルになったので、メルマを出せる。よかった。はっきり言って
この暑さの中、ゴルフやそのための練習をするのは憂鬱だ(サイパンやグアムのような
むし暑い所に行って(特に夏に)、お金を払ってまでゴルフをする人の頭の中が、
僕のような頭の悪い者には理解出来ない。やはりああいう所では、ダイビングとかが
いいだろう)。


まずは前々回のアンケートにご協力下さった方々、どうも有り難う。


それから昨日で無事、HPアドレスとメルアドが復旧した。その間HPを
見に来て下さった方、それから僕にメールを下さった方(もしいらっしゃればだが)、
どうもすみませんでした。


さてぴよさんがご自分のメルマで、「総集編2.日本の医療に未来あれ!(完全版)」
(僕のHP

http://www.helio-trope.com/

の、「メールマガジンバックナンバー」を乞うご高覧)をご紹介下さった。
HPアクセスが朝から今までで26件、そして何と7人の方が、新しく読者に
なって下さった。どうも有り難う。

新しい読者の皆さん、歌うたいとしての僕の事は、もしご興味がおありでしたら、
僕のHPの、「Hideの全て」をご高覧下さい。

ぴよさんのメルマは(以下引用)、

私たちだって、人間だぁ〜!嫌なものは嫌!嫌いな人は嫌い!
医療現場の面白い裏話&健康・ダイエット等
お役立ち情報を、毎週お届けします♪(引用終わり)

というメルマである。購読のお申し込みは(無料)、

http://melten.com/m/9455.html

まで。


さてせっかく、たぶん医療系の読者の方が増えて下さったことだし、歓迎会も兼ねて
医療ネタと行こう。今の病院も来週で終わりだし、訣別企画の意味もある。
あんな病院でも、このメルマの創刊時から仕事していた病院だ。そのくらいの儀式は
必要だろう。

総集編シリーズが続いているが、今回はVol.64.からVol.68. までの本題を、
ブラッシュアップして一つにまとめておく。

なお総集編にするにあたり、タイトルの「小ネタ」をカッコつきにした。
これは、V.が「小ネタ」にしては大きすぎるからである。

これらは去年の8月から9月にかけてした話だが、読み返してみると内容は
──少なくともその本質は──、哀しいことに全く古くなっていない。

立花隆さんは、「巨悪VS言論」(文芸春秋刊)の序論で、こう書いておられる(以下引用)。

本書は、1976年7月の田中逮捕から、1993年3月の金丸逮捕、6月の
宮沢内閣不信任解散、自民党分裂まで、17年間にわたって、日本の政治腐敗を追及し、
分析し、批判するために私が書いてきた文章を集めたものである。

(中略)私はこれはかなり政治的レトロ趣味の本になってしまうのではないかという気が
した。最近書いたものはともかく、70年代に書いたものなど、もうとっくに歴史資料の
領域に入ってしまっているのではないかという気がしたのである
(Hide註:’93年の本だ)(中略)。

ところが、実際に書いたものを集めて読み直してみると、(中略)
これが面白いのである。(中略)全然古くなっていない。本質的な内容は、
我々が今目の前に置いている政治の現実に、そのままストレートにつながっているのである。

それが何を意味するかといえば、結局、今の政治が、田中時代から本質的に
何も変わっていないということである。(後略、引用終わり)


僕も、同じ事をつぶやきたくなるのだ(但し、あの病院についてだが)。


ちなみにそのすぐ後で、立花さんはこう書いておられる(以下引用)。

現代の日本の政治のプロトタイプが田中型政治であるということである。
今の政治改革の問題にしろ、田中時代までさかのぼって政治を見直してみなければ、
本質的な解決はないということである。(引用終わり)

これは残念ながら、11年経った今についても言えている事ではないだろうか。
田中角栄は、物理的には消え去って久しいが、彼の築いたものは何千、いや何万の
ミニ角栄たちによって(鈴木宗男なんてのは、ミニ角栄の典型だろう)、
脈々と引き継がれて現在に至っているように、僕には見える。

脱線ついでにもう一つ。民主党の管前代表は、「日本 大転換」(光文社)の中で
こう言っておられる。
(以下引用)

田中角栄という人は、私にとってあらゆる意味での「反面教師」だったと
いえるのかもしれません。土建中心の政治、官僚主導の政治、
金権による政治、そういう意味で、彼がこの国のなかにつくりあげて
きたものを、ひとつづつ変えていくことが、これからの私の仕事のような
気もしています。(引用終わり)

ご評価は、皆さんの英知に委ねたい。


前置きが長くなったが、このあたりで本題と行こう。


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T.誰がために病院はある


うちの病院の外来の冷房は、はっきり言って効き過ぎだ。

外来をやっていると、足元が寒くなってくる。僕は靴下にサンダルばきで
仕事しているので、なおさらなのだろうが。

僕の感覚がおかしいのでない証拠に、熱のある患者さんに「寒くないですか?」と訊くと、
ほとんど例外なく「寒いです」とか、「ここはそうでもないですけど、待合は寒いです」とか
おっしゃる。

そういうわけで、僕はそのたびに冷房のツマミをしぼったり、場合によっては切ったり
するのだが、外来の優秀なる(もちろん反語的表現だ)看護婦の皆様は、僕がその旨
告げたにもかかわらず、せっかくそうしたものをまた全開にして下さる。

多分あの人たちにとっては、熱のある患者さんが服を脱ぐ時に寒い思いをされようが
どうしようが、そんな事は知った事ではないのだろう。

そもそも外来は、まず婦長がどうしようもない、まさに「ナントカにつける薬はない」
ヤカラだ。例えばある患者さんが、僕が普通に問診している時に突然キレて帰ったのを、
その場に居合わせていなかったくせに、「患者さんとケンカしないで下さい」と、
勝手に決めつけくさったりである。

これはB病院(Vol.11Vol.12Vol.15を乞うご高覧。「某政党系の病院」の略だ)や
H病院(Vol.28Vol.57を乞うご高覧。「本当にどうしようもない病院」や、
「どうしようもない病院」の事だ)についても言える事だが、どうも外来というのは、
箸にも棒にもかからぬゴミクズ看護婦どもの吹き溜まりになっている事が多い
(B病院の上司に至っては、その頭ぐされ看護婦どもが、研修医を「育ててきた」と、
自分がもう一つ頭ぐされである事を露呈する買いかぶりぶりだったが。
そもそも看護婦が(もう呼び捨てにさせてもらおう)、医者を「育てられる」わけが
ないではないか。医者を育てる事が出来るのは、医者だけに決まっている)。

まあ誰のための病院なのかが、よく分かる。

僕もたまりかねて、事務長さんに言ったので、少しは今後改善されるのではないだろうか。
余り期待せずに待っている。

(ここまでは8月23日の話だが、9月27日後日たん(この字は変換が出来ない))

実は冷房をめぐる、クサレ看護婦どもとの戦いはその後も続いていたのだが、
18日にはあのドグサレ婦長が、「患者さんが暑がっている、うちわであおいでいる」と
ぬかしたので、早速確認したところ、誰一人としてあおいでいる人もいなければ、
暑がっている人もいなかった。

どうやらあのゴミクズ婦長には、実際に無い物が見えたり、実際にはしていない声が
聞こえたりするらしい。

これは精神医学の領域では、「幻視」とか「幻聴」、ひっくるめて「幻覚」と呼ばれる。
主に精神分裂病の症状だ。

従って早急に辞表を書き、看護婦免許を返上すべきだろう。保健婦助産婦看護婦法では、
精神病は相対的欠格事由なのだから。

まあこんな分裂病患者でも、どういうわけか婦長になれてしまうのだから、
いかにうちがどうしようもない病院かは、推して知るべしだろう
(まあ今までにも、さんざん書いてきたが)。

ちなみにその後も、患者さんが上着を着ているのに、頭にウジがわいた看護婦どもは、
しょうこりもなく冷房をつけくさっている。イヤガラセのつもりだろうか。
もちろん発見次第切っているが。

どうやら一度、あの分裂病婦長とは、決着をつけねばならぬようだ。


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U.木に寄って魚を求む


そう言えばうちの病院の外来には、とんでもない言葉がある。うちの病院の
非常識さ加減を、象徴する言葉だ。

それは、「とりっぱなし」だ。

何の事かと言うと、レントゲンや心電図などの結果を、その日でなく後日説明する事を、
こう言っているのだ。

驚くなかれ、これは職員の中だけで言っているのではない。患者さんに聴こえる所で
平気で大声で言っているし、患者さんに見える所に書いてさえいる!!!

これほど無責任な言葉はないだろう。

もし僕が患者さんなら、こんな言葉を使う病院には、二度と足は運ばない。

これでは、患者さんが減るのも当たり前だ(僕の外来は、忙しくて困っているが)。

この病院に着てから1年と9ヶ月余り、僕は事あるごとに、「説明次回」と言おうと
言っているのだが、全く改善されない。これも事務長さんに、言わねばならないのだろうか?

僕が驚くのは、看護婦だけでなく、医者や他の外来に出入りする人間が、
僕の知る限り誰も、「これはおかしい」と言っているのを聞いた事がない事だ。

うちの病院に、「普通」を期待するのが間違っているのだろうか? 

「木に寄って魚を求む」なのだろうか?


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V.言うは易く、行うは難しか?


病院ではこの度、事務長が交代した。以前に言った、来月からの外来の待合の禁煙も、
その成果なのかも知れない(「成果」と呼ぶには、余りにも寂しすぎる気もするが)。

もう一つ、新しい事が始まった。

「経営理念」と「運営理念」なるものが出来て、それが病院の至る所に
張り出されている。それだけでなく、カードサイズの縮小コピーを、事務員さんが
僕の所に持って来た。

それはこんなものだ(以下引用)。


経営理念

1.救急医療に積極的に取り組み、地域の中核病院になるよう努めます。

2.良い医療サービスを提供し、健康と生活を守るよう努めます。

3.高度な医療で地域に貢献できる病院をめざします。


運営理念

1.効率の良い合理的な病院運営を行い、経営の健全化をめざします。

2.地域の中核病院として他の医療機関との連携を進めます。

(引用終わり)


いやあ、実に結構なご理念でいらっしゃる。美辞麗句もこれだけ連ねられると、
歯が浮いてくる。

そして、これだけ突っ込み甲斐のある理念もない。

さあ、突っ込んで行こう。


「1.救急医療に積極的に取り組み、地域の中核病院になるよう努めます。」

→「救急医療に積極的に取り組」むのは結構だが、それならまず、外来や入院の診療の
片手間で、救急をやっている今のシステムは何とかして欲しいものだ(逆に外来や入院の
診療が、救急の片手間なのかも知れぬが)。言行不一致もいいところだ。
また救急病院の看板を上げるのなら、少なくとも吐血の患者さんに緊急内視鏡(胃カメラ)を、
24時間ためらいなく出来る体制を組んで欲しい。

「地域の中核病院になる」のも結構だが、それを言うなら、風邪引きやはらいたは
開業の先生の所へ行くように、患者さんの啓蒙に努めて欲しいものだ。以前にも言ったが
(詳細は僕のHP

http://www.helio-trope.com/

の、「メールマガジンバックナンバー」の、「Vol.32. 風邪で総合病院には来ないで
下さい」
を乞うご高覧)、そういう患者さんばかりだと、総合病院本来の仕事が
出来なくなる。


「2.良い医療サービスを提供し、健康と生活を守るよう努めます。」

→「良い医療サービスを提供」する事に異論はないが、本当にそうしたいのであれば、
腹部エコーが週2回、心エコーに至っては週1回しかなく、入院中に予約が
入らないような、とても救急をやっている総合病院とは思えない体制を、
まず何とかすべきだ。

また木曜の内科の外来を3診から2診に減らしたりとか、医師から時間的な余裕を奪う
改悪も、即刻現状復帰すべきだろう( ’04註:現状復帰どころか、8月から医者が
減るので、週の後半は午前診は2診、夜診に至ってはほとんど2診体制に
なってしまった!!! まあ僕には、もう関係のない話だが)。医者の仕事には、
時間的かつ精神的な余裕が必要だ。そうしないと突発事態にも対応出来ないし、
余裕がないのに患者さんに優しく対応するのは至難の業だ(まあ僕の、人間の完成度が
まだまだ低いせいなのかも知れぬが。しかしそういう聖人君子しか、医者が出来ないというのは
どういうものだろうか。それは、患者さんにとって、また社会全体にとって、
果たしていい事なのだろうか)。

田中康夫さんも言っていたが、世のため人のために働くキリスト教の聖職者にも、
夜には一杯のワインを楽しむ権利が、与えられているというではないか。

「健康と生活を守る」のも結構だが、患者さんにはそれをさせて下さらない方々が
ゴマンといらっしゃるので、そういう方々の啓蒙がまず必要だろう。


「3.高度な医療で地域に貢献できる病院をめざします。」

→これについては、1の後半で言った通りだ。


次は、運営理念だ。


「1.効率の良い合理的な病院運営を行い、経営の健全化をめざします。」

→「効率の良い合理的な病院運営」と言うのなら、技師さんでも出来る事を
医者にやらしたり、事務員さんでも出来る事を看護婦さんにやらすのは、
今すぐ止めるべきだ。

課長や係長の仕事を社長や部長にやらしたり、平社員の仕事を課長や係長にやらす会社は
どこにもないはずだ(もしあったとしたら、そんな会社は倒産必至だろう)。それと同じだ。

具体的に言えば、胃や腸のバリウム検査やエコーは、今すぐ医者から取り上げて、
技師さんにやらすべきだ。出来る技師さんがいないのなら、よそからスカウトして来る
べきだ。「何なら僕がして来てもいい」と前から言っているのに、おエラい皆さんは
全く腰を挙げようとなさらない。うちは研修医の先生のための、教育病院では
ないはずなのだが。

それで開いた医者の手を、経営理念の1.で言った改革に回すべきだ
( ’04註:胃カメラにもまわして、胃カメラが2週間待ちのような異常事態は、
即刻終わりにすべきだ)。

また外来の看護婦さんが、診療の介助そっちのけで、パソコンにかじりついて処方を
入力しているのも止めさせるべきだろう。そんな事は、事務員さんでも出来る事だ。
出来ないのなら教育し、教育しても効果のない人はリストラすればいいだけの話だ。

今週分かった事だが、せっかく入ってくれた常勤の先生が、早くも辞めるらしい。
こういう不測の事態があるから、以前言った非常勤の医者のリストラというのは、
慎重の上にも慎重を帰すべきなのだ。医者の補充は、なかなかきかないのだから
(特に常勤は)。

( ’04註:ついに8月から、院長が内科の外来にお入りあそばされる事に
なったようだ!!! 整形外科医が内科医のまね事をするようでは、もうおしまいだろう
(それはM病院(僕のHP

http://www.helio-trope.com/

の、「メールマガジンバックナンバー」の、Vol.40.私の中のジョビン(ボサノヴァ講座
中級編・その4)
参照)についても言える。あるいはそれをおかしいと思わないレヴェルの
患者さんに、これからはターゲットを絞るのかも知れぬ。いずれにしても、
未練なく去れる))

また医者が、CTやエコーなどの検査の依頼箋に、いちいち手書きでカルテの番号や
患者さんの名前や、その日の日付とかを書いている今のシステムも、何とかすべきだろう。
具体的には、診察券のエンボス化等で対応すべきだ(それならワンタッチで、
それらを印刷できる)。これも人件費の、ものすごい無駄である。

以前にも言ったが、コスト意識のない経営者は、辞表を書くべきだ(これはもちろん、
高級事務職員についても言える)。オーナー経営者なら、もっと有能な経営者を雇って、
自分は経営から引くべきだ。

それがない限り、「経営の健全化」など夢のまた夢だろう。


「2.地域の中核病院として他の医療機関との連携を進めます。」

→基本的には、経営理念の1.で言った通りだ。つまり風邪引きやはらいたは
開業の先生の所へ行くように、患者さんの啓蒙に努めて欲しいものだ
(詳細は

http://www.helio-trope.com/

の、「メールマガジンバックナンバー」の、「Vol.32. 風邪で総合病院には来ないで
下さい」
を乞うご高覧)。そういう患者さんばかりだと、総合病院本来の仕事が
出来なくなる。


最後に、経営理念の1.の補足をしておこう。僕も口で偉そうな事を言うばかりでは
決してなく、自分の現場で患者さんの啓蒙は行っている。

具体的に言えば、僕は病院でも、風邪の人には開業医でやる以上の事は特にしない。

それで不満な人は、どこかよその病院に行けばいいと思っている。少なくとも僕の外来には
必要ない。

僕の外来は、ただでさえ忙しくて困っているのだから。これ以上来てもらわなくていい。
特に、僕と合わない人はご免こうむる(クリニックがこのくらい忙しければ最高なのだが。
それなら病院を辞めて、クリニックに専念できるのだが)。

残念な事だがうちの病院には、点滴がためらいなく出来たり(看護婦さんは迷惑だろうが)、
検査がいろいろ出来るのをいい事に、風邪の患者さんに初診時から、
レントゲンやら緊急採血やらといった不必要な検査をしたり、抗生剤入りの点滴をしたりする
先生方が多すぎる。もちろん症状が長く続くようなら、他の病気も疑ってそういう検査を
するのは正しい事だとは思うが、いきなり初診時からやる必要はないはずだ。

そういう事をすると、世の中には不必要な検査や点滴が好きな方々もゴマンと
いらっしゃるから(僕にすれば理解しかねるご趣味だが)、そういう方々が集まって、
前述の通り総合病院本来の仕事が出来なくなる。

そればかりでなく、そういう不必要な検査や点滴は、ただでさえひっ迫している医療経済を、
よけい窮地に陥れるだろう。

だから僕は、必要にして最小限の検査(そして薬や注射・点滴)を心がけているのだ。
それが僕の、保険財政の守り手としてのプライドだ(同時に、患者さんの健康と生命の
守り手でもあるわけだが)。

ここに、「3分間治療でなぜ悪い!? 高齢化社会に向ける医療費倍増論」(無量一人著、
奥原希行 編、弘文堂)という本がある。

この本に、まさにここらへんの話が書いてある。長いので要約しておこう(以下「引用」)。

ある地域に、一日100人の咳の患者さんがいたとする。日本では医者が少ないから、
この患者さんたちを一人で診るとする。そうすればまさに、3分間診療にならざるを
得ないだろう。そしてほとんど全員に、風邪の薬を出して、「良くならなければ3日後に
来なさい」と言うしかないだろう。

しかしこの中で風邪の人が90人とすれば、その90人についてはこれでいいのだ。
残り10人が3日後来て、全員にレントゲンをした。うち1人が肺炎だったとしよう。
その人については入院で治療すればいい。後の9人はどうもないので、別の薬を出して
帰した。

さらに3日後、3人が良くならずに来た。そこで全員に痰の検査をしたところ、
1人が肺ガンだと分かった。残り2人はどうもなかったので、また薬を出して帰した。
かくして終了。

こうして少ない時間と労力と費用で、肺炎と肺ガンを1件ずつ見つけた。

さてアメリカではどうだろう。アメリカでは初診時から、患者さん一人に
1時間や2時間かけて、診察や検査や説明を実にご丁寧にやる。
その事自体はいいのだが、それでは一日に100人の咳の患者さんのうち、
6人か7人しか診る事は出来ない。それは時間的にだけでなく、経済的にも
そうならざるを得ないだろう。

という事は、残り93から94人は、薬局で薬を買って我慢するか、
あるいは放っておくしかないという事だ。

これは果たして、いい医療と言えるだろうか?

(「引用」終わり)


これは実に、示唆に富んだ意見だと思う。皆さんも、一度考えてみて欲しい。
よくやり玉に上がる「3分間診療」は、本当に悪い事なのかどうかを。

あと誤解のないように言っておくが、僕の診療は、もう少しきめが細かい。

まず僕は、初診の患者さんには、結構詳しくお話を訊く。また初対面の患者さんの場合、
原則として目から足の先まで全部診察する(時間外は別)。だから風邪でも、
3分ではすまない。7分はかかる。だからくどいようだが、病院には風邪の患者さんは
来て欲しくないのだ(クリニックには来て欲しいが)。

逆に風邪の患者さんの2回目の診察では、ルーチンにレントゲンを撮ることはしない。
その代わり背中の聴診はする。レントゲンを考慮するのは、3回目からだ
(但し肺の雑音が聞こえれば、初診でも原則として撮る)。


これでおしまい。お付き合い有難うございました。


次回は、21日には出したい。乞うご期待。



最後まで読んでくれて、本当に有難う。ご意見、ご感想、ご質問等は

hide@helio-trope.com

までどうぞ。「こんな話が聞きたい」というリクエストも大歓迎だ。
(ここで紹介させてもらう事が有るので、それを希望されない方は
乞うご明記)


デワマタ。