(註:このページは写真がてんこ盛りですが、容量もその分大きいです)
こんにちは。Hideです。
僕は元シンガーソングライターで、元ボサノヴァシンガーです。ライヴハウスで歌い始めたのは、’90年の事です。
まずは、僕の身の上話を聞いて下さい。その中で少しでも、あなたと共有できる部分があれば、とても嬉しいです。
僕が音楽を始めたのは、14才のことです。この頃サザンオールスターズの、「勝手にシンドバッド」がヒットしていましたが(と言うと歳がばれてしまいますが)、あの曲を聴いて「ポピュラーってこんなに面白いもんやったんか!」と思いました。それまで両親がクラシック好きで、僕もピアノのお稽古に通わされたり、クラシックを聴かされたりしていたのですが全然興味が持てず、野球や中学に上がってからはバスケに明け暮れていたのですが、この言わば「サザンオールスターズショック」後は、ギターを手にして曲を作ったり、止めていたピアノを独習で再開したりしました。高校を出るまではバンドはあぶれてしまって出来ませんでしたが、曲作りや弾き語りにいそしんでおりました。
またこの頃までには、尾崎亜美さんに傾倒したり、また一方ではDeep Purpleを聴いてジョン・ロードさんのオルガンにしびれて、音楽室のエレクトーンのエフェクトを全部出してコピーしたり、はたまた当時流行っていたカシオペアやクルセーダーズを聴いてフュージョンに開眼したりと、かなり音楽の幅も広がって来ました。と言うと聞こえはいいのですが、悪く言えば無節操という事にもなるわけで、今の僕の気の多さは、この頃からすでに下地があったのですね。
大学に入ってから、すぐにバンド人生がスタートしました。最初にやったのは忘れもしない、ユーミンさんと尾崎亜美さんのコピーバンドです(この頃はキーボードを担当していました)。その後フュージョンをやったりストーンズやRCをやったり、はたまたレベッカと飯島真理さんのコピーバンド(!)をやったりと、僕の人間性に問題があったのか様々なバンドを遍歴しました。フュージョンバンドでは自慢じゃないですが、葛城ユキさんのベストテンの中継もあった、京都のBig Bang(現Vox Hall)と言うライヴハウスに出たこともあります。ちなみに三回生の頃、渡辺美里さんがベストテンで "My Revolution" を歌うのを見て感動し、傾倒しました。これは現在まで続いています。
その後一時期ベースに転向し、オリジナル中心のロックバンドをやっていましたが、やはり自分の曲は自分で歌いたいと思ったのと、昔から目立ちたがりでしたので、社会人になった年にヴォーカルに転向しました。この年にやったロックバンドで、ライヴハウスシンガーとしてのデビューを飾りました。
ヴォーカルに転向してから4年くらいは、ロックバンドを中心にやっていたのですが、この頃一緒にやっていたギタリストから、「君の声はロックには向いていない。ポップスをやりなさい。」と言われました。そしてその人と、ギターだけがバックのユニットをやりました。
これが現在の僕のグループ、"Heliotrope" の前身です(その後のHeliotropeの事は、”Heliotropeとは?”のページに詳しく書きましたので、もし宜しければご高覧下さい)。そのユニットは、一回ライヴをしただけで解散したのですが、その後結局この路線で突っ走ることになりました。その意味でこの人との出会いは、僕にとって重大なターニングポイントでした。何せこの出会いが無ければ、ひょっとしたら未だに、ミック・ジャガーさんの亜流をやっていたかも知れないのですから(その前に、音楽を続けていたかどうかも分かりませんが....)。Heliotrope(以下
"Helio")は、その後バックがピアノになったりしましたが、その後ギタリスト2人と、3人でやっていました(最近のライヴの事は、「ライヴレポート」をご参照下さい)。
ロックバンドは、ヴォーカルになってから6年目を最後にやっていません。やはり人数が増えると、いろいろ大変ですから。
さていよいよ、このページの本題に入りましょう。バンドやグループの一方で、ライヴハウスシンガーとしてのキャリアを始めた頃から、弾き語りでライヴには出ていました。(詳細は、「ライヴレポート」のページをご参照下さい)。
なお約10年前から、小野リサさんを皮切りにボサノヴァに傾倒し、弾き語りを始めました。ボサノヴァ好きが昂じまして、ついに僕の友人の日系三世のボサノヴァシンガー、「ジョアン成原」をプロデュース致しました(彼についての詳細は、「ジョアン成原について」のページをご参照下さい)。おかげ様で、'01年の8月11日Liestickで、Heliotropeの前座として、日本のライヴハウスでデビューを飾らせる事が出来ました。お忙しい中いらして下さったお客様、再びどうも有り難うございます(その後のジョアンのライヴの事は、「ライヴレポート」のページをご参照下さい)。
しかし人に歌わせていますだけでは、自分のボサノヴァ熱がどうしても満足せず、ついに'05年の5月7日、心斎橋の "10 years after" (以下「テン」)で、ボサノヴァシンガーとしましてのデビューライヴをやらせて頂きました。お忙しい中いらして下さったお客さん、素晴らしいステージをいつも提供して下さるマスター、どうも有り難うございました。
'05年11月に、テンでワンマンソロライヴをやりました。これを最後に、健康上その他の理由で、セミプロとしては演奏しておりません。
それでは皆さん、他のページも、宜しければご高覧下さい。
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