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     歌う医学博士・Hideが行く
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  Vol.85. 信じられない事態!(ボサノヴァ講座・特別編その12)
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こんにちは。Hideです。


まずは前回のアンケートにご協力下さった方、どうも有り難う。


9日のゴルフは、いま一つだった。特に最終2ホールは、バテているのが自分でも
分かった。これでまともなショットが出るわけがない(コーチによると、そういう場合は
振りを小さくするか、さもなければもっと「小さい」(つまり短い)クラブを使うか
らしいが)。

どうもウオーキングは、週1回では不足なようだ。そういうわけで今週から、週2回
することにしよう(これでまた、音楽をやる暇が一層なくなるのだろうが)。
メルマを書いた後と、火曜日のクリニックの午前診の後に、ウオーキングは前から
よくやっている。


音楽と言えばゴールデンウイークに、かのボサの名曲 "Shega de Saudage" (英語では
「ノー・モア・ブルース」、日本語では「想いあふれて」)をものにしようと頑張った。
おかげで何とか、楽譜を見ながらではあるが、弾き語れるようになった。

しかしカイピリーニャ(ブラジル音楽のダイニング・バーだ。

http://www.geocities.jp/caipitan/home/top.htm

を乞うご高覧)の飛び入りライヴ(「カンタ・ブラジル」と言う)から、ある事情につき
ここ一年ほとんどご無沙汰だし、さらにもう一年、ご無沙汰が続く予定だ。
そういうわけで、披露できるのはいつの日だろうか。


さて病院の方だが、ついにうちにも、かの医師研修2年間義務化(以下「研修義務化」)の
とばっちりが及んだ。

と言うのは、僕が入る前からいた内科の医者(ちなみに全員男性)4人のうち(僕は
勝手に、「内科四天王」と呼んでいる。ちなみにうち一人は副院長)、一人が8月末、
もう一人が年末に、大学に呼び戻される事になったからだ。

研修義務化のせいで、今までのように大学は、研修医を労働力(それも安価な)として
使えなくなる。と言うのは、今までは卒業するとすぐ、どこかの科の専属に
なっていたのが、今回の研修義務化で、研修医はどこの科にも属さず、数ヶ月ごとに
2年間、いろいろな科を回って研修することになったからだ(これをうちの業界用語で、
「ローテート」と言う)。

しかも研修医は(特に1年目は)、僕らの頃は8時や9時までの勤務は当たり前で
(それは僕だが、それでも「早く帰る」とイヤミを言われた)、凄い奴になるとほとんど、
病院に住所を移した方がいいと言われていたものだが(ちなみにアメリカ等では、
研修医のことを「レジデント」と言うが、これは病院に「住み着く」という意味だ)、
研修義務化後は労働基準法を律儀に守らなければならぬので、研修医はみな5時に、
学生さんのように帰るそうだ(少なくとも、僕のいた医局(科のことだ)では)。

そういうわけで、話を元に戻すと、大学は研修医を労働力として使えなくなったので、
全国的に医師不足に陥っている。そういうわけで、どこの大学も医者を、関連病院から
引き上げているのだ。

おかげで僕も、まずは事務長と院長顧問から、そしてその次は、しょうこりもなく
院長から、「もっといられないか?」と前回の件を蒸し返された。もちろん、
はっきり断わったが。

しかしこれは、彼らの身から出たサビなのだ。

なぜなら僕は1月の初めに、医局担当の事務員に(課長のようだ)、「研修義務化の事は
あるし、僕もいつまでも常勤できるわけではないし、今からしっかり医者を探しておくよう
事務長に伝えてくれ」と言ったし(この事務員は、これを勝手にも握りつぶしくさった
ようだが、しかし事務長等や院長には、こういう部下を持った監督責任や雇用責任が
ある)、3月には彼らは、内科の女医さんをクビにしたからだ(「おいおいー、
医者の選り好みが出来る病院かよー!」と言いたくなるが)。

そういうわけで、僕は彼らを、全然かわいそうだとは思わない。

まあもちろん、現場の事を全然知らず、机上の空論を振り回す、
厚生省の税金ドロボウどもも悪いのだが。


さて、無能な人々の話はこのくらいにして、本題に入りたいがその前に、Vol.82.
(僕のHPで読めるので、

http://www.helio-trope.com/

の、「メールマガジンバックナンバー」を乞うご高覧)に、補足をしておこう。

先日、五郎部俊朗さんと言う、テノール歌手のコンサートに行ってきた(ちなみにこの人の
存在は、近くの耳鼻科の先生から教えてもらった)。

この人によると、全然MC(ポピュラーで言う)をやらず、ただ出て歌って消えるだけ
なのは「リサイタル」、MCをやるのは「トークコンサート」と言うらしい(コンサートの
前半は前者、後半は後者だったが、後半のMCでそう言っていた)。

だとすれば、Vol.82. で言ったジョイントコンサートも、「トークコンサート」に
なるのだろうか。

ちなみにMCで面白かったのは、東京には声帯専門の耳鼻科医がいて、この人も
通っているらしい。クリニックに行くと、スマップやモーニング娘のメンバーとか、
唐沢寿明さんとかと、院長が一緒に写った写真とかもあるそうだ。


それでは、今日の本題。

16曲目、かの名曲 "Desafinado" を歌い終わった後、信じられない事が起こった
(ちょっと「ガチンコ」風だが)。

何とジョアンは、下を向いたまま、動きを止めてしまったのだ!!!!.....、、、。

会場に、戸惑いが漂った。そして、アンコールを求める拍手が始まった。

ジョアンももう、72歳のはずだ。まさか...?!と、一瞬いやな予感が、
脳裏をよぎったりもした。

10分も経っただろうか。ジョアンが再び、ギターのネックに左手をかけた。

そして、これまた名曲、"A Felicidade" を歌い始めた。

僕は気がついた。「ああ、他のアーティストなら楽屋にいったん引っ込む所を、
そうしないだけの事なんだな」と。

僕はよく水を飲む男だから、「よく水を飲まんと続くもんやな」と、感心してしまったが。

"O Pato"、"Sem Voce" 等々、おなじみの曲が演奏されていく。ジョアンは1回目の
アンコールを、名曲 "Estate" で締めくくった。全部で8曲。長いアンコールだ。
ちなみにここまでで、合計24曲。


今回は余り進まなかった。次は29日だが、2周年記念企画をやりたいので、
どこまで進めるか...。まあぼちぼち行こう。



最後まで読んでくれて、本当に有難う。ご意見、ご感想、ご質問等は

hide@helio-trope.com

までどうぞ。「こんな話が聞きたい」というリクエストも大歓迎だ。
(ここで紹介させてもらう事が有るので、それを希望されない方は
乞うご明記)


それとくどいようだが、このメルマのバックナンバーが、僕のHPで読めるので、

http://www.helio-trope.com/

の、「メールマガジンバックナンバー」を乞うご高覧。デワマタ。