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     歌う医学博士・Hideが行く
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  Vol.70. 手のひらのマリンタワー(ボサノヴァ講座・特別編その2)
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こんにちは。Hideです。


まずは前回のアンケートにご協力下さった方々、どうも有り難う。

いつものcaptainUME さんからは、

> 病院の経営者だったらDr.Hideさんに是非来ていただきたいですね

とのメッセージを頂いた。どうも有り難う。


Helioは相変わらず、11月のライヴに向けて鋭意製作中だ。お楽しみに。


さて前回言った分裂病婦長だが(そしておそらく、その手下ども──例えば全然やる気がなく、
婦長と同じような事をほざく、Uと言う看護婦と言うよりもただのオバハンとか──だが)、
29日になってもまだしょうこりもなく、冷房をつけくさっていたので、ついに僕の
ワイヤーロープのような(ウソ!)堪忍袋の緒も切れて、事務長さんに「あの病人を
内科と関係のない所に飛ばすか、僕を外来と関係のない所(例えば胃カメラやエコー等の
検査とか)に飛ばすか、どちらかにして欲しい」と訴えた。多分握りつぶされるのだろうが。

まあ言う事は、それでも言っておかなければ。そうしないと病人婦長のご乱行の数々も、
どこかで握りつぶされて上に伝わらないだろうし。


それでは本題。前回はほとんど書けなかったが、出来るだけ先に進みたい。

新幹線からは、富士山はふもとの方しか見えなかった。雲が多かったせいだろう。

そう言えば「東大一直線」で、東京に受験に行く時、富士山が見えたら落ちるという
ジンクスがあると書いていたのを思い出した。

僕も東京のS大学の医学部を受けたとき、一次試験では富士山が見えなかった。
一次は通ったのだが、二次試験のとき逃げもかくれも出来ないくらいに富士山が見えて、
結局第一補欠だった。まあ単に、実力がなかっただけなのだろう。

ちなみに車内では、ビールを1リットルしか飲まなかった。何せこれからジョアンを
観るのだから、酔いつぶれてしまっては困るのだ。

新横浜からJR根岸線で、石川町まで行った。横浜マリンタワーに登るためである。

途中電車の中から、ステーキハウスのTGIフライデーズが見えた。グアムで入ったのを
思い出した。さすが国際都市だと思った。

石川町から中華街を左手に見て、マリンタワーまで約1.2キロを歩いた。
横浜に抱いていた、きれいなイメージが狂った(なにせかの、「エースをねらえ」の
舞台なのだから)。これなら大阪と、余り変わりないと思った。

そう言えば森前首相が、「大阪は痰つぼだ」と以前言った。

これについて中島らもさんが、こう言っている(以下「引用」(細部は違っているが
悪しからず))。

>大阪痰つぼ論。いやあ、言い得て妙である。
>しかしそれは、大阪の人間が、自分で言う場合である。
>例えばの話、「うちの女房はブスでねえ」と言う人はいるかも知れないが、
>「お宅の奥さんはブスですな」と言う人は、少なくとも普通の大人にはいない。
>そういう事は「余計なお世話」であり、言わないのが「大人の礼節」というものだ。
>どうもこの森さんという人は、人間性が少しおかしいのではないかと思う。

(「引用」終わり)

森さんと中島さんのどちらが正しいかは、読者の皆さんのご判断に委ねたい。

話を元に戻そう。横浜人形の家を横目に見ながら、次に来た時に取っておこうと思いつつ、
横浜マリンタワーに登った。

マリンタワーは開港100周年を記念して建てられたらしい。地上106メートルの高さは、
灯台としては世界一だそうだ。

展望台からの眺めは、なかなかよかった。足元には横浜の顔(だそうである)山下公園、
左手にはかのランドマークタワー、右手にはハマコー氏で有名な、かのアクアラインが
見えた。源田実さんの言葉を借りれば、万里の長城と、戦艦大和と並ぶ3大...である
(これ以上は言わぬが花だろう)。

観光に当たって、まずその街を俯瞰するというのは、なかなかいい方法ではないだろうか。
そう言えば「サイパン観光界の風雲児」と呼ばれる人がいて、その人が「まずバンザイクリフを
観てそれからデューティーフリーといった、手垢のつき切ったコースではなく、
自分のツアーは高い所から、まず島全体を見せる」みたいな事を言っていたのを思い出した。

マリンタワーを降りると、併設の機械じかけのおもちゃ館がタダで観れたので、
ざっと観て歩いた。まあ悪くはなかった。

おもちゃ館を出て、山下公園を歩いた。とにかく日差しがきつくて、素肌に半袖ポロシャツと
Gパンだったのだが、結構暑くて汗をかいた。ミネラルウオーターを飲みながら歩いた。

山下公園内に、氷川丸という昔の大型客船が、今は博物館になって係留されている。
全長163メートルで、「太平洋の女王」と異名を取ったらしい。処女航海は
1930年で、かのチャップリンや柔道の嘉納治五郎も、乗った事があるそうだ
(嘉納氏は航海中、船医に看取られつつ病死したらしい)。

機関室では、ディーゼルエンジンを見ることが出来る。それは圧巻だったが、
船内をもう少しきれいに掃除してもらえないものだろうかと思った。まあ外気に対して
開けているわけだし、止むを得ない面もあるだろうが。

三等船室のあたりで(3段ベッドだったかが二つ置いてあった)、老婦人が3人ほど、
「船室ってこんなんやったね」みたいな事を話していた。

好奇心に駆られて、「この船に乗られたんですか?」と訊くと、「この船とは違うけど、
ブラジルまで行ったよ」との事であった。ジョアンを観に行った日にブラジルとは、
なかなか奇遇だと思った。


ジョアンに戻ったあたりで、余り進んでいないが、続きは次回。悪しからず。

それと所用により、来週は休刊させて頂く。重ねて悪しからず(いつになったら
このシリーズは終わるのだろうか...。まあ気長に行こう)。



最後まで読んでくれて、本当に有難う。ご意見、ご感想、ご質問等は

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それでは18日に。