/*
     歌う医学博士・Hideが行く
                        */

**********************************************************************
  Vol.31. ニューヨークに咲いた花(ボサノヴァ講座中級編・その1)
**********************************************************************


新年おめでとう。Hideです。今年もよろしく。


まずは前回のアンケートにご協力下さった方、どうも有り難う。


正月休みは病院の方で30日に、ある科の患者さんが重症化して内科に転科して、僕が
担当になったので、結局31日と3日しかフルに休めなかった(もともと2日は出勤する
つもりだったのだが、1日も出勤になってしまった)。まあ病院の医者の宿命だろう。

しかしそれでも、1年4ヶ月ぶりに新しい曲をMDに録った。やっと作曲のスランプ脱出?
だ(前から作り置きしていた曲ではあるが)。また僕のアルバム収録曲で渡辺美里さんへの
デディケートナンバー「1986 〜あなたに出逢った頃〜」のボサノヴァヴァージョンが
最近完成したので、それもMDに録った(この曲についての詳細は、僕のHP

http://heliotrope.s9.xrea.com/

の、「Hide詞集」の「4」を乞うご高覧)。そういう意味では実り多い休みだった。

僕のグループ "Heliotrope" は、いよいよレコーディングに入る予定なので、
これらの曲がライヴで陽の目を見るのはまだ先になりそうだが、その日を乞うご期待。


さて前回、「不必要な点滴・注射等を要求しないようにしよう」という話をした。要らない
お金を払ってまで、また副作用の起こる危険を冒してまで、痛い思いをしたいというのは
僕には理解出来ぬ趣味だが、まあ「蓼食う虫も何とやら」という事なのだろう。

こういう人はクリニックの方にも、特に初診ではたまにはいる(幸い親父が、こういう
レベルの人は今まで30余年間シャットアウトしてくれているので、そんなに多くはない)。

ところが病院の方には、こういうレベルの人たちがウヨウヨしている。そしてこういう
人たちに限って、また軽症で時間外に来るので、二重に腹が立つ。多分こういう人たちの
辞書には、「公徳心」などという文字はないのだろう。

まあ待合室や、病棟のエレベーター前にタバコの煙がもうもうとしている非常識な
病院だから、非常識な患者さんが集まるのも道理なのかも知れない。

そう言えばVol.28で話した「本当にどうしようもない病院(以下「H 病院」と略)」も、
今の病院に輪をかけて非常識な病院だからか、非常識な患者さんが多かった。
はなはだしい例を挙げると、僕が血圧を測るとき、「すみませんが(セーターの)袖を
抜いて頂けますか?」と腰を低くして頼んでいるのに、「今までそんな事したことないわい」
と偉そうに一言のもとに拒絶したりである。「医者の言うことを頭から否定できるくらい
おエラいのなら、病院に来るな」と言いたい。

今の病院は、この点H 病院よりはましだと思っていたら、この間同じような人に
出っくわしてしまった。ガッカリである。

しかしこんなひどい病院なのに、何で今まで1年2ヶ月足らず勤め上げられたのかと
言うと、最大の理由は、

「主治医権の侵害がほとんど無いから(皆無ではないが)」だ。

もっと分かりやすく言うと、僕が外来・入院を問わず、自分の患者さんに内科の診療をする
限りにおいては、ほとんど他人から、口も出なければ手も出ないからだ。

まあ僕は一応一人前の内科医なのだから、これは本当は当たり前の事だが、それが理由で
今の病院に居着いているという事から、今まで僕がどんな病院を渡り歩いてきたかは
推して知るべしだろう。

言い替えれば、流れ者の医者を拾ってくれる病院というのは、その程度なのかも知れぬ。


さていやな話はこのくらいにして、本題に入ろう。今回からいよいよ、ボサノヴァ講座
中級編だ。

というわけで、そろそろこの名前を出そう。

アストラッド・ジルベルト。

えっ?「何で中級編なんだ!遅すぎるぞ!」って?

確かにもっと早く出すべきだったかも知れぬ。何せこの人は、Vol.24で言った通り、
「イパネマの娘」が1963年大ヒットして、ボサノヴァが全世界でブレイクした時、
このテイクの後半のヴォーカルを担当した人なのだから。

(ちなみにプロデューサーが、マスターテープに魔法のハサミをふるったこと、つまり
前半のジョアンによるヴォーカル(ポルトガル語)をカットし、ヴォーカルは
後半(英語)のみにしたことが大ヒットの要因だったのも、Vol.24で言った通りだ。)

にもかかわらず、あえてこの人を中級編に持ってきたのは、今の彼女の音楽をボサと
呼んでいいのかどうか、僕には分からないからだ。

もちろん彼女の今の音楽は、それはそれで一つの世界を築いており、僕も結構好きなのだが。

’63年ヒットした「イパネマの娘」は、今ではこのアルバムで、「魔法のハサミ」の
入っていない完全な形で聴く事が出来る。

ゲッツ/ジルベルト(発売:ポリドール株式会社)

このタイトルの「ジルベルト」は、実はアストラッドではなくジョアンの事だ。つまり
このアルバムまでは、アストラッドはジョアンの夫人で、ただの専業主婦だった。
もちろんジョアンに歌は仕込まれていたようだが。

それがこの大ヒット1曲で、彼女は一躍スターの仲間入りを果たす。そして「ゲッツ/
ジルベルト」でテナー・サックスを吹いていたスタン・ゲッツとともに、その輝かしい
キャリアを重ねていく。

その一方ジョアンはと言うと、その後アストラッドとも別れ、一時はドラッグ等で
身を持ち崩しかけた事もあったらしい。実に罪な──少なくとも一面では──
「魔法のハサミ」だったわけだ。

「ゲッツ/ジルベルト」に話を戻そう。このアルバムについてよく言われるのは、スタン・
ゲッツのサックスの音量のバランスが大きすぎるという事だ。

確かにそれは否定出来ない。たぶんゲッツには、ボサノヴァの何たるかが分かって
いなかったのか、あるいは単に目立ちたがりだったのか、さもなければ
その両方かだったのだろう。

Vol.24で、

ボサノヴァの歴史 ルイ・カストロ著 JICC出版局

という本を紹介したが、この本にはこんな事が書いてある。(以下引用)

「トム(Hide註:アントニオ・カルロス・ジョビンの事)。このグリンゴ(Hide註:
中南米人がアメリカ人等を蔑んで呼ぶ言葉。日本語で言えば「アメ公」あたりか)に、
おまえは馬鹿だって言ってくれよ」と、ジョアン・ジルベルトはトム・ジョビンに
ポルトガル語で命令した。
「スタン。ジョアンは、彼の夢はあなたとレコーディングすることだったと言っている」
と、ジョビンは英語で伝えた。
「オモシロイネ」とスタン・ゲッツは恥知らず語で答えた。「声の調子じゃ、
彼はそう言ってはいないようだ......」。(引用終わり)

つまりこの美しい音楽も、作られ方は決して美しくはなかったという事だろう。

バランスに目をつぶれば、ジョアンのささやくようなヴォーカルや淡々とリズムを刻む
ギターも、ジョビンのクールなピアノも、そしてアストラッドの可憐な声もとてもいい
(音程は若干甘い所もあるが)。スタンのサックスも、音自体は決して悪くない。

アストラッドのヴォーカルは、「コルコヴァード」でも聴ける(これまた英語だ)。
これも実にかわいらしい。

きっと彼女は、神様が’63年のニューヨークに咲かせてくれた、一輪の花だったのだろう。

次回もアストラッドの話をする。乞うご期待。


最後まで読んでくれて、本当に有難う。ご意見、ご感想等は

hide@helio-trope.com

までどうぞ。「こんな話が聞きたい」というリクエストも大歓迎だ。
(ここで紹介させてもらう事が有るので、それを希望されない方は
乞うご明記)


それとこのメルマのバックナンバーが、僕のHPで読めるので、

http://heliotrope.s9.xrea.com/

の、「メールマガジンバックナンバー」を乞うご高覧。デワマタ。