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     歌う医学博士・Hideが行く
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  Vol.104. 続・衆院選に思う
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こんばんは。Hideです。


まずは前回のアンケートにご協力下さった方々、どうも有り難う。


昨日はカイピリーニャ(ブラジル音楽のダイニング・バー。

http://www.geocities.jp/caipitan/home/top.htm

を乞うご高覧)で、飛び入りライヴに出て来た(月一回、第3土曜にある)。そこで
ブラジル人の整骨師のセルジオさんと、その友達の黄山さんと飲んでいて、フードが
余りにもうまかったので、生ビールを合計4杯、ボトルキープしているピンガ
(ブラジルのサトウキビから作る焼酎)に至っては、ストレートで浴びるように
飲んだので、さすがに今朝は午前中、二日酔いで寝込んでいた。午後から11月の
ライヴのための練習をやっていて(ライヴについては、僕のHP

http://www.helio-trope.com/

の、「ライヴ速報」に書いたので乞うご高覧)、鉄弦のギター(いわゆる
「フォークギター」。僕ら音楽屋は、「スチールストリングス」と英語でいう)を
しこたま弾いたので、左手の指先が痛い。よってこのメルマを書いている(笑)。

まあこの痛みを乗り越えないと、鉄弦は引けないのだが。ちなみに僕は、太い方から
2番目の弦(「ミディアム・ゲージ」と言う)を使っているのでなおさら痛い。
それは太い弦ほど、張力が強いからだ(物理を思い出そう)。これは、長淵剛さんに
対抗したい気持ちがちょっとあるからだ(笑。ちなみにあの人は、一番太い弦だが...)

一年の半分はガットギター(いわゆる、「クラシックギター」)を、もう半分は鉄弦を
弾いているという、いわば橋本聖子状態だが(笑)、飛び入りライヴ
「カンタ・ブラジル」と言う。「ブラジルを歌おう」と言う意味だ)があるので
、鉄弦の時期もたまにはガットも練習せねばならない。全く忙しいことだ。

まあしかし、鉄弦の方がキャリアは長いわけだから、まあよしとすべきだろう。


さて前ふりはこのくらいで、本題としよう。

衆院選はご存知の通り、当の自民党でさえ予想していなかったほどの大勝利と
なってしまった。何しろ比例区では、立候補者が足りず、社民党に議席を
譲らざるを得なかったブロックがあるくらいだ。

前回冗談のつもりで、「小泉さんよ、『与党で3分の2取る』くらいの大ボラを
吹いてみろよ」みたいな事を言ったら、何とそれが本当になってしまった。
まさに「ウソから出たマコト」だ(苦笑)。次からは、「前原さんよ、
『民主党で3分の2取る』くらいの大ボラを吹いてみろよ」と言おう(笑)。

冗談はさておいて、まさに衆愚政治ここに極まれりだ。

確か青島さんが東京都知事に当選した時だったか、西部邁さんが、「愚民が愚者を
選んだわけ」という文章を何かの雑誌に書いていたが、今度は国全体が、まさにその状況だ。

これは「ゆとり教育」なる、政府の愚民政策の大成功だろう。

結局彼らの本音は、「頭のいい人間なんて、ほんの一握りいればいい。
そういう奴らは、どこか他で勝手にやれ。残りは、安い給料で(そしてこれからは
高い税金でも)文句を言わずに働く愚民でいい」というわけだ。

まあ最近ではさすがに当の政府も、余り国民をバカにし過ぎると、上意下達さえ
ままならなくなるという事に遅まきながら気がついたのか、「ゆとり教育」を
見直そうとしているようだが。

民主政治は、今回の日本に限った事ではなく、洋の東西を問わずとかく衆愚政治に
なり勝ちだ。

いや、衆愚政治ならまだましだ。独裁者は、民衆の歓呼に包まれて登場するのだから。
古くはシーザーしかり、ナポレオンしかり、新しくはヒトラーしかりだ。

実は日本の参議院の存在意義は、独裁者を生まない事にあるのだ。と言うのは、
日本にヒトラーのような天才的な扇動家が現れた場合、その勢力が衆議院で多数を
占めても、参議院が国民に、冷静に考える時間を与えるからだ(僕はこの事実を、
「わが子に読み聞かせたい日本国憲法」(水田嘉美著、三修社)で初めて知った)。

もっとも今回のように、衆議院である勢力が3分の2を超えてしまっては、
そのチェック機能も果たせないわけだが。

まあこの国にとって幸運なのは、今のところ小泉首相に、少なくとも第二のヒトラーに
なろうという気がなさそうな事だろう。まあ彼に、それほどの能力(意志力や決断力、
胆力も含めて)の絶対値があるとも思えぬが。

ちなみにアメリカの大統領選挙は、各党の予備選挙に始まって、何でほとんど
1年もかけてやるのか不思議に思われる方も多いだろう。実は、僕もそうだった。

実はこれも、独裁者を生まないためなのだ。

詳細は「痛快!憲法学」(小室直樹著、集英社インターナショナル)をご参照頂きたいが、
あのように長い間選挙をやると、対立候補やマスコミが、それこそ鵜の目鷹の目で
候補者のあら捜しをやる。そして選挙が終わる頃には、国民は今度大統領になる人が、
決して完全無欠のスーパーマンではなく、自分らと同じ人間であることを知るわけだ。

だから、「新大統領が何をやるのか、自分らがしっかり監視して行かなければならない」と
思うのだ。

ただそれにしても、監視する方が衆愚では、余り意味がないかも知れない。

小室先生に、もう一度ご登場願おう(「日本国憲法の問題点」(集英社インターナショナル)に
詳細は載っている)。アメリカ独立の父・ジェファーソンは、この解決を教育に求めた。

原本を、そのまま引いておこう(以下引用)。

「アメリカ人の民度(国民のレベル)をできる限り高くすることこそが、民主主義を守る
最後の防波堤になるというわけである。大衆が愚かであったら、どんなに高い理想を
掲げても、よい政治は行われない。衆愚政治になるばかりだと考えた。

そこで彼は教育の普及にひじょうに熱心になった。結果としては実現しなかったが、
公立学校を作ろうとしたのも彼だし、また大統領を辞めてからも故郷のヴァージニアに
大学(ヴァージニア大学)を創立したり、教育の振興に尽力した。」(引用終わり)

こう考えたのは、決してジェファーソンだけではなかった。少し長いが、
僕の大好きな所なので、もう一箇所引いておく(以下引用)。

「新大陸で最初に大学が作られたのは、1636年のことである。
マサチューセッツの植民地に作られたハーバード大学が最初である。

これがいかに驚くべきことであるかは、マサチューセッツに最初の植民者
約1000人が到着したのが1630年だったという事実一つを指摘すれば充分であろう。

入植からわずか6年で、大学を作った!

断わっておくが、この6年の間、植民者達は決して遊んでいたわけではない。
何もない荒野に上陸し、草を刈り、道路を作り、井戸を掘り、自分たちの住む家を
造っていた。生きていくことに追われながらも大学を作ったというのである。

なぜ、そこまでして大学にこだわったのか。

それは彼ら自身が教養の価値を知っていたからである。」(引用終わり)


さあ、この国はどうするのだろう、これから(残念ながら、僕は教育関係者でも政治家でも
ないので、教育のために出来る事はほとんどない)。

とりあえず僕は、教養というのは一生かかって身につけていく物だという事は知っている
(決して大学の教養課程の2年間で、昼休みの定食のように、ガガッとかき込む物では
ない)。そして、そうしようと思う。

そして僕は、子供たちから見て、「あんな大人にだけはなりたくない」という大人には
絶対なりたくない(まあそれはそれでまた、反面教師としてはいいのかも知れぬが)。


次回からは、尻切れトンボ達を処理して行きたいと思うのだが、ライヴが迫っているので
いつ書けるか分からない。悪しからず。まあ気長にお待ち下さい。



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